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効率と墓

とにかく今日はリュックサックはディックサック(英語でそれぞれ、ちんぽ、しゃぶるを意味する)というのでダジャレが組めることにえらく喜んでいたし、それから高校で買わされた英単語帳にはスティックとスティフ(硬い)が同じページに配置されていたことを思い出して、また喜んでいた。ちんぽのさきっちょは日本語だと亀頭だけど、英語辞書であるOEDには「ヘビ」が示されていて、人種によるサイズの違いが、比喩に使われる動物の違いに現れていることに気がついてコレも嬉しかった。ただし外国人はリュックのことはバックパックというので日本でしか通用しないし、チンポの大きさが違うんじゃなくて生息するヘビや亀の種類が違うことだって十分考慮する必要がある。ニプルでも色々考えようとしたが、どうしてもニプルボーイフラグメンツがチラついてあまりうまく行かなかった。奇械田零士朗胃之上奇嘉郎は未だによく混ざる。咳をしてもニプル。人は小さなコミュニティに属していると、どうしても人間関係の複雑さが絡まり続けるらしく、自分は当事者でなく全く完全な傍観者なのだけれど、それらの原因は主に(This video has been deleted)。複雑化する人間関係が良いか悪いかしらないが、さっさとそんな関係からは断ち離れたいという感情しか湧かないので傍観者であることすら面倒に感じている。

米原万里を読んでいる。幼い作者が共産圏に住んでいた頃の友人たちとの再会を、3編収録していた。数ページ、友人の父が祖国での昔話をとても印象的に語るシーンがある。とある同級生のポケットの中から出てきたくしゃくしゃになったメモ、それに書かれたパルチザンであることを示す星、そのメモを取り上げて自らのポケットに入れる先生。詰問に対し、自分がやったことだ、と応え、生徒の代わりに銃殺される先生。石の花を思い出す(坂口尚展が今年12月に埼玉で行われる)。フンベルバルディング先生がいなくなったのは、何を意味していたのか。上流階級で居続けるために流転を続ける、恥と自己のない人々。都合の良い記憶上書きによって。自分も昨日今日で偶然、唐突になつかしい人々に会った。連絡をたまに取る会社の同期と、よくつるんでいた学部の同期。死後の世界。最も効率が良い行動が至上命題なら、やはり墓穴のなかで生まれることだ。残念ながら我々は墓の中で生まれ暮らしていない。ドラキュラは墓で眠る。効率とはなんだろうか。もし重い物をモタモタ運ぶ人間を効率が悪い人間と呼ぶなら、その評価は適切であろうか。個人の能力によって制限されているなら、結果に対して評価する際、個人ごとに可能な最大仕事量を把握した上での補正が必要である。実際にそうではなく、効率は個人でなく組織の効率を意味する場面が多く、その場合は一般的人間の平均仕事量を基準に測られるのみであり、これはおそらくLGBTの人々への評価にそのまま拡張されている。個人を尊重するというのは、平均からの差異でなく、その個人の抱える身体的制約条件と経てきた歴史を考慮したうえでの評価を与えることであるべきだ、という民俗学から見た精神病患者への思考を自分は大切にしている。すべての人間に対して良い評価を与えるということが尊重ということではない。無条件な他人の肯定は墓の中で生まれることと同じだ。効率の悪い生き方。墓だらけになったら生きてる人はどこに住んだらいいのだろう。土地は有限だろうし。