人を呪わば穴二つ

2015/12/07 18:10

チンポとアナルはやっぱり似て非なるアナル(ゲルベゾルデより引用)なわけで、幾何学的にチンポというのはそれに針をさして空気を送り込めばパンパンに膨れ上がりマアルいボールになることはできるが、アナルに針をさすことは果たして可能であろうか?疑問はアナルとは穴自体をさしているのか?であれば、穴の周りはアナルのなんなのか。しかし、まあ我々はウンコをすれば尻を拭くわけで、もしアナルが穴そのものをさしているのであれば、そこには無があり、汚れるようなものは存在していないことになる。我々は無をぬぐうという哲学的営為に日常を費やしている可能性は限りなく低く、つまりアナルは穴そのもののみをさすのではなく、穴を穴たらしめるような周りの構造物も含めてアナルである。つまりアナルは空集合ではない。アナル以外の何かによってアナルが定義されているのではないのだ。ただし、注意が必要なのは穴は空集合である。こう考えれば幾何学的にアナルにも針を刺して膨らませることができることがわかるが、アナルには穴という構造が含まれているので、いくら膨らませてもチンポと同じボールになりえず、ドーナツのような形になるのみだ。ここで、チンポにも尿道があるではないか!というチンポn=1派(チンポに穴があるということを主張する派閥。後に説明。)は尿道攻めを武器にチンポn=0派(チンポに穴は無いということを主張する派閥。)をひどく攻め立てる。チンポn=0派としては、尿道こそがアナルであり、尿道こそが同じ存在であるので、チンポにはその尿道自体の役割を担っていないと考えているのだ。つまりチンポは肉棒存在としての棒性こそがチンポであり、穴によってチンポが定義されているわけでは無い。チンポの穴性を、尿道が代理し、尿道はチンポではなくチンポ穴であり、チンポと尿道をあわせて男性器というのがチンポn=0派の今までの結論である。チンポn=1派はチンポ=男性器という乱暴な認識であり、チンポn=0派としては彼らの観察の浅さに、大きな溝を感じている。この議論の解決には、彼らがよりよいチンポの文化的観察を行うこと、またそれにより言葉の定義をより言語論、記号論的に分析するような研究がなされ、それから我々と対等に議論ができる環境が整い、最終的に尿道攻めとは何か、ということが定まるで、解決されないだろう。議論には共通の言語とバックグラウンドが必要になるのだ。とにかく、我々チンポn=0派はすべてのレイプは穴性を攻めているのみにとどまる、と共通認識をもっている。ここからはチンポn=0派の言説を発展させたものだが、ボールモデルという概念があり、穴がないゴムボールを想像してもらい、これをn=0と定義してやると、チンポはn=0となり、アナルは穴が1つなのでn=1の概念となる。n=2は?と考えると、それは数字の8だったり、パンツには穴が2つあるので、そのような形質がそれを満たすだろう。このように定義すると、チンポn=0派はチンポに穴性を認めていないということが理解できることだろう。モデルから、アナルだけではなく、マンコにもn=1の物体としての性質があるわけだ。ここでつまりアナル=マンコという今までの常識が、改めて深く理解することができる。また、マンコとチンポはnにより定義された場合において次元が異なる。つまり我々は動物学的に違う以前に、トポロジカルな存在として次元が違うものであることが認識される。ゲイに代表されるようなLGBTはそれらの次元を行き来することができる自由人というわけだ。n=1であるマンコやアナルは、n=0で乱暴に扱われると「めくれあがった」り、「裏返った」りする。穴は1つあれば簡単に裏返るのだ。n=0は裏返ることがあり得ない。穴がないからだ。言えることは、チンポに裏という概念が存在しないということだ。裏チンポという概念は、短い言葉の中で矛盾を孕み、n=1派の間では成立しうるらしいが、チンポにも裏があるなんて恥ずかしい奴らなのだろう。我々人間というものを考える場合、我々の人体を口から肛門までひと続きの穴が貫いており、n=1の物体であることは明らかだ。つまり人体は裏返ることができる。「メビウスの輪、膨らめば穴1つ。」とはギョオテの言。n=1の可能性。無限の性質を持つものと同次元である我々人体は、過去から未来のみならず、未来から過去へ、つながっていくことが可能だろう。